マイロネフは行く

自転車とサイクリングに鉄道や郷土の自然(主に植物),地理,歴史などを織り交ぜ,ジュニア世代にサイクリング人気の復興を念じつつ展開してゆきます.

2022年07月

 猛暑お見舞い申し上げます.
 
さて,ご高承の通り,JR東日本は2022年 7月
28日,利用客が激減した35の地方線区66区間の
収支を発足以来初めて公表しました.
今日(2022年 7月29日・)付の毎日,読売,
信濃毎日の各紙記事から拾い出してまとめて
みますと,1日1km当りの平均乗客数2,000人
未満の区間は総計2218.2km.これら各線区の
収支の一覧表は読売新聞の2面が詳しいです.

それによれば,元々の赤字線区ばかりでなく,
かつては「亜幹線」にランクされていた線区で
さえ,利用客が激減している実態に改めて
愕然とします.

赤字のローカル線と言えば,私が過去に当方自宅
からサイクリングの自走日帰りに成功した地域の
線区も当然入っている訳で,吾妻線,飯山線,
大糸線等がそれに該当します.1990年代に私が
実際に行ってみたところでも,例えば飯山線の
十日町ー越後川口間等は廃止間近の旧長野電鉄
信州中野ー木島間より輸送人員が少ないと見受け
られましたし,吾妻線の万座・鹿沢口ー大前

間もあれだけの少なさ.それに大糸線は並行する
R148の改良整備が進展し,仁科三湖に沿って走る
信濃大町ー白馬間でも赤字は¥8億6,900万.
さもありなんです.


さらに気になるのが小海線で,信濃毎日新聞
1面の図表によれば,同線最大のヤマ場である
小淵沢ー小海間の2019年度は¥14億8,200万もの
赤字.確か野辺山か清里の駅にあった
「みどりの窓口」も,とうに無くなって久しいです.

あそこは2009年にCOLNAGO・Arteに乗って実際に
行っておりますが,(以前にも1回書きましたが)
驚く程周辺の道路が立体交差やら何やらで
改良整備が進んでいました.

このままではわが日本全国最高地点を通る鉄道が
まさに存亡の危機に瀕します.

それ程この線区が沿線地域に重要なら,高速道路の
建設は中止したら如何なのかとさえ言いたくなって
しまいます.

読売新聞9面の記事によれば,国土交通省の鉄道
局長は「旧国鉄の分割民営化以来,地方の人口が
これ程にまで急減するとは思わなかった」という
趣旨の発言をしたと伝えられております.

さらに昨今の新型肺炎コロナウィルスの蔓延で
地方の鉄道は従来に増して受難の時代に入って
しまっています.鉄道好きにとってもコロナウィルス
蔓延は本当に癪の種です.

予てからローカル鉄道の主な顧客は通学の高校生が
多いですが,その人口が減る一方であれば,最後には
鉱山の閉山で廃線となった鉄道と同様の道を辿る
可能性が高いのではないでしょうか.

今回のJR側の発表で,これが即廃止につながる
訳ではないとはいうものの,もはやこれ以上の
先送りはますます手遅れになるだけという
話でしょう.従来の「存在していて当たり前」が
そうでなくなるのもまた当たり前なのですから.


それでは今夜はひとまずこの辺で.

こんばんは.マイロネフです.

では昨日(2022年 7月24日・)の長野市北部
ポタリングで見かけた花のあれこれをUPしたい
と存じます.

先ずは当方の徒歩圏内から.
DSCF5960
DSCF5961
このオニユリの花が咲くと,
真夏を実感します.
DSCF5962
葉の付け根のムカゴの有無が
コオニユリとの識別点です.

次は長野駅前附近で.
DSCF5980
DSCF5981
ヒャクニチソウもこの位に
咲けば立派なものです.
DSCF5982
ほぼ同じ場所で.このカサブランカが咲けば
こちらのユリも見頃の筈です.
DSCF5983
このニホンヤマユリは,善光寺の裏手の
山裾にある某霊園の障碍者用スロープを
愛車を押し歩きで登る途中で偶然に発見
したものです.確か「善光寺七清水」の1つが
この辺りにあった筈だと記憶していたので・・・・・・.
DSCF5985
DSCF5986
このニホンヤマユリはアジサイと一緒の場所に
植えられたものらしいですが,❝半自生❞の状態
になっています.
DSCF5989
この個体は花の重みで茎がダウンしています.
この種のユリは往々こうなりやすいようです.
DSCF5992
DSCF5988
DSCF5990
DSCF5993
DSCF5991
DSCF5994
こちらはクズ等の藪になっていますが,
開花前の段階から草刈り等管理が行き届けば
素晴らしい花壇になるのではと期待できそうです.

長野市の中心部近くの屋外で,これ程多数の
ニホンヤマユリが咲いているのは私の知る限り,
今のここが唯一の場所です.

元はこの近辺でも自生していたのが,現在ではここ
のみとなってしまっているとすれば残念な事です.

では今夜も時間ですのでこの辺で.

データは今回は省略します.

こんばんは.マイロネフです.

最近出番の無かったMy COLNAGO・Arteを偶には使おう
と,今日(2022年 7月24日・)は気温の面では極めて
不利になると知りつつ,昼休みを跨ぐ時間帯に長野市北部
のポタリングに出かけました.

先ずは長野駅の北側,北長野寄りの所へ行きますと,古くから
皆様にもおなじみの車体色の115系3輌編成の姿が見えました.
DSCF5964
DSCF5965
これはごく最近に全体の検査を終えたばかりの
「S3」と言う編成番号の3輌編成ですね.

この1輌めに見えるのが クハ115-1012です.
DSCF5966
中間の2輌めはモハ114-1018です.
DSCF5969
「日本国鉄体」とも言うべき数字の
見本にできればと思って撮影しました.
DSCF5970
立体駐車場の脇から露天の駐輪場に入る細い通路が
あり,そこで結構近接した位置で撮影ができました.

3輌めはクモハ115-1013です.
DSCF5971
DSCF5976
ここではスペースの都合で,このような
構図でしか撮影できませんでした.
DSCF5968
同車輌の連結面に付いている各種銘板.
下から製造元「川崎重工 昭和53(1978)年」,
真ん中が現在のオーナー「しなの鉄道」,
上が「JR東日本 長野総合車両所 平成5年 改造」
とあります.
DSCF5977
立体駐車場の外階段から撮影したモハ114-1018です.立入禁止の
処置は何も無く一般に開かれていますので問題は無いと判断
しております.
DSCF5978
パンタグラフは現在の最新式ですね.
DSCF5973
これが44年間走り続けた台車.スプリングに
防雪のためゴムのブーツが付いています.
DSCF5975
台車の銘板.製造年月はシ(昭和)52ー12
と読み取れます.

この電車の登場時,私は20歳になるかならないか
の時期でした.以来44年,東日本ではどうやら
しなの鉄道に残るこれらの115系が,臨時列車用
等を除く通常運行の旅客営業で活躍する
旧国鉄車輌の,事実上最後の生き残りと
なっているようですね.

走行音を比べれば,現在の新鋭SR1系はこれと
比べると格段に静かになっています.それ自体も
世代の差と言うべきなのでしょうね.

私自身も年を取りました(笑).世の中も変わりました.

それではまた.

こんにちは.マイロネフです.

では先日に引続き,1967年10月 1日改正
列車時刻表上の超ロングラン普通列車,
621レの足取りを,金沢から続けたいと存じます.
金  沢  着14:51            
/発15:09          
     西  金  沢     15:15                    
      (*野々市駅が1967年当時無かった?)  
      松  任        15:23                          
           加賀笠間   15:30                  DSCF5029
これは1982年 4月25日,加賀笠間駅に停車中の522レです.画像(写真)
の中央がオハ35 2347,右手前がオハ35 2434,左奥が最後尾のオハフ33 2551
という編成でした.右手前のオハ35 2434は1941(昭和16)年製,左奥の
オハフ33 2551は1947(昭和22)年製で,側面から見た屋根の形状が前者は
両端が垂れ下がり,後者は直角です.オハ35形客車の屋根は終戦後の製造
再開直後はそれまでと同じ両端の垂れ下がった形でしたが,その後間も
なく
マイナーチェンジで両端が直角(切妻)になりました.車掌室付き
オハフ33は戦後の製造再開当初から屋根両端は直角(切妻)です.両形式の
客車とも,戦前・戦中から終戦間もない昭和20年代前半までの1940年代
の製造で,その時々の時代の情勢等のため,年式や製造元によって屋根
の形状や車体表面の仕上げ等に変異が多いのも特徴でした.

また内装は後者がベージュ色のアルミデコラ張り,前者は茶褐色のニス
塗りとなっていましたが,塗装の合理化のためか,内装が昔ながらでも
外部の色だけ青色に塗り替えた客車がこの頃少なからず見られました.
当時高崎線~信越本線で1日1往復残存していた旧型客車の中で見られた
オハ46 2543もその口です.
DSCF5030
同じ加賀笠間駅での停車風景.この列車の機関車は長岡から
富山までEF81 20号機,富山から田村まではEF70 36号機
でした.田村から終点の米原まではDE10でしたが,その
具体的な
ナンバーまでは残念ながら記録しそびれました.

客車は機関車の後ろから,荷物車が当時の新形マニ50 2177,次いで
郵便車も当時の新形スユ16 2011.それに続く普通客車がオハフ33 2424
(1947年 日本車輌製),
オハ35 2247(1941年 新潟鉄工製),
オハ35 2209(1941年 日本車輌製)・・と,いずれも1940年代の製造
という具合.

では,1967年10月改正当時の621レに戻りましょう.

美  川  15:37          
 小  舞  子  15:41           
 寺  井  15:46              
      小  松  15:54                
    粟  津     16:02           
動  橋       16:09          
      作     美    16:13(*改め加賀温泉)  
      大  聖  寺    16:20                                        

     牛  ノ  谷  16:29                 
   細  呂  木  16:34               
     金  津    着16:39(*改め芦原温泉)   
 /発16:41                   

  丸  岡  16:48              
春  江  16:54                 
        森  田  16:59                 
福  井 着17:06            
/発17:22             
この時代の富山~金沢~福井周辺の北陸本線の時刻表を見ます
と,優等列車は(普通)急行が多く,特急は米原方面行きは僅か
5本のみ(白鳥・はくたか・第1・第2雷鳥・しらさぎ)です.
「日本海」「北陸」「白山」「金星」「つるぎ」等,後年特急に
格上げされた急行列車も目立ちますね.

これが40年前の1982年5月になりますと,特急が増発に次ぐ増発で
富山から米原方面行きは金沢始発/終着を合わせて数えてざっと41本.
特急が普通(快速を含む)を圧倒しています.しかし当時高速道(北陸
自動車道)も伸びてきていましたから,これでも苦戦だったのかも.

大  土  呂  17:32            
           北  鯖  江  17:38               
     鯖  江  17:45                 
    武  生     18:00                
          王  子  保     18:06                       
鯖  波   18:12 (*改め南条)       
湯  尾   18:18                            
 今  庄   18:24             

この当時の時刻表で,今庄駅にはホームの洗面所を示す○内に「洗」
のアイコンのみ付いていますが,これはかつてのSL時代の名残なの
でしょうね.この他,主要駅では駅弁販売,電報取扱,また駅によっては
赤帽,さらに全国主要駅では医務室のある駅まであったようです.
      南  今  庄   18:29                              
敦  賀     着18:48                        
/発19:10            
DSCF5031
これは1982年 4月25日,522レが停車中の敦賀駅で見かけた
オハユニ61 62号車です.側面の行先表示の看板(サボ)によると
当時の小浜線・東舞鶴7:01発→敦賀9:04着の931レ,敦賀20:28
→東舞鶴22:19着の938レに使われていたものと推定できました.
この当時,同型の客車を富山か高岡でも見た記憶があります.
座席の脚が文字通りの❝✘脚❞であるのが確認でき,背もたれは勿論
❝必殺垂直板張り❞になっています.現在は横川の「碓氷鉄道文化むら」
で,同型車のオハユニ61 107号が保存されていますね.

【ご参考】
2012年 5月 1日,碓氷鉄道文化むらの場外から撮影した同車輌です.
この時傷んでいた雨樋はその後修復されたようです.せめてこの車輌
でも逢いに行きたいものですが.
  054

  新  疋  田   19:22                   
遥々長野から走り続けた621レは,新潟,富山,石川,
福井の4県を跨いで,はや近江路,滋賀県に入ります.
近江塩津   19:31            
余  呉      19:37            
DSCF5032
1982年 4月25日の522の車窓から見えた余呉湖と賤ケ岳.
1967年の621レではすっかり夜の帳が下りる時間です.
木  ノ  本   19:52                 
(近江)高月        19:58                
    河  毛       レ             
虎  姫   20:03                
長  浜   20:10           
DSCF5033
    1982年 4月26日撮影の,旧長浜駅舎記念館です.
これも全く不鮮明な画像ですが悪しからず.
田  村   20:18          
   坂  田    レ                   

 (♫車内放送オルゴール・ハイケンスのセレナーデ&架空の車内放送)
DSCF5018
「長らくのご乗車お疲れさまでした。次は終点米原、米原でございます。
どなた様もお降りの際はお忘れ物、落とし物等ございませんよう、
お手回り品を今一度お確かめください。

お乗り換えのご案内です。

新幹線下り、『こだま135号』新大阪行きは20:55の発車です。
新幹線上り、『こだま294号』静岡行きは21:20分の発車、終点・
静岡に23:03分の到着、全車自由席です。

在来東海道線下り、大津、京都方面大阪行きは21:05分、上り
岐阜、名古屋方面行きは20:37分名古屋行き、21:08分豊橋行き
各駅停車がございます。

急行列車は上り『比叡4号』名古屋行き20:31分、同じく上り
『能登号』東京行きは21:19分の発車で、こちらは寝台車付きで
座席車は全車指定席となっておりますのでご注意下さい。

ご乗車有難うございました。間もなく終点、米原です――」
(♫車内放送オルゴール・ハイケンスのセレナーデ)
  米  原   20:27          
      FINISH       

――いやはや,長野から実に12時間と47分,
何とも気の遠くなりそうな列車でした.

それにしても,当時のこの列車に運用
されていた客車も大変興味深い存在です.
DSCF5022
しかし当時は電車やディーゼルの急行でも,
普通車(当時の2等)
は未だ殆ど冷房は無かった
筈ですから,況やこのような❝歴史的
客車❞では
なおの事,夏場の長時間乗車はかなりの難行苦行,
少なくとも到底快適とは言い難かったのではと

推定されます.


また,この当時この列車での米原駅到着の時間帯
を見ますと,下り急行「阿蘇」熊本行き1205レの
米原発が20:26! 僅か1分差で乗り継ぐことが
できない,当時としても何ともイジワルなダイヤ
だった事も分かりました.
DSCF5019
これは1982年 4月25日の522レで,当時の愛車の
ランドナーを輪行しているところですが,1967年
当時は未だ一般サイクリストに輪行は認められて
おらず,幾多の曲折を経て1970年に日本サイク
リング協会(JCA)会員証を提示することで
認められることになった経緯がありました.

1970年代から'80年代初めにかけては,全国でも
未だ個性的な旧型の旅客車輌が残存していました
から,当時の最新鋭のスポーツ自転車を携えて
鉄道とサイクリングの旅の両方を1行程でコラボ
できる輪行サイクリングは極めて魅力的な旅の
様式だったと思います.

それでは今回はこの辺で.

こんばんは.マイロネフです.

今から55年前の交通公社時刻表(復刻版)では,
DSCF4238
翌年の歴史的ダイヤ改正(所謂よん・さん・とお)
の1年前で,さらに今日ではあり得ない超ロングラン
の普通列車もまだ残存していました.その中から,

今回は長野から直江津ー富山ー金沢ー福井ー米原と
北陸本線をcompleteしていた普通列車621/622レの
うち,下り長野発米原行き621レの足取りを辿って
見たいと存じます.

画像は40年前の1982年 4月25日に直江津から米原まで実際に
522レに乗車した時の車内の写真をimageとしてご覧に入れます.
これは直江津から富山まで乗ったオハ35 2040号車の車内です.
DSCF5018
DSCF5020
           START           
長  野  7:40             
       北  長  野       7:48                  
三  才       7:59             
 豊  野       8:06              
牟  礼       8:17          
古  間       8:27               
                 柏  原       8:33(*改め黒姫 )         
 田  口       8:45(*改め妙高高原)                             関  山  8:55(*当時スイッチバック)         
二  本  木    9:06                          
     新  井    9:16                         
 北  新  井      レ                              
       脇  野  田       9:28(*改め上越妙高)     
南  高  田      レ             
 高     田    9:39           
 春  日  山       9:45                
  直  江  津   着 9:50                   
           /発10:00                    
この当時の直江津始発の糸魚川・富山方面行き普通列車の発車時刻は
6:40発富山行き522レ,10:00発米原行き621レ,11:50発福井行き244レ,
14:40発福井行き1222レ,16:22発福井行き1224レ,18:26発金沢行き526レ,
新潟15:10始発で当駅19:57大阪行き528レ,そして新潟18:50発急行
「よねやま・ひめかわ」312Dの続きで21:21発の2322Dという構成です.

ここから糸魚川と宮内(長岡)までの電化が1969年秋の事で,この当時
北陸本線は貨物にはSLのD51,旅客には多分DLだったと思います.
これらの普通列車に限れば当時もローカル線並みでしか
なかった訳ですね.


では,これより北陸本線で当時の
復刻時刻表621レの旅を続けましょう.
DSCF5021
        郷  津   10:10(*複線化で現存せず)           

    谷  浜   10:15                            
有  間  川   10:21           
 名  立   10:28                 
   筒  石   10:38                   
    能  生      10:47              
    浦  本      10:55               
 梶  屋  敷      11:00                  
 糸  魚  川   着11:07                 
 /発11:19             
  青  海  11:28            
    親  不  知    11:35               
   市  振  11:45           
   越中宮崎  11:51             
泊     11:58          
 入  善  12:05                          
 西  入  善    12:10                
      生  地     12:16                          
  DSCF5024
   大手アルミ建材メーカーの工場があったのは確かこの辺りです.          
黒  部  12:23               
魚  津     12:33               
  東  滑  川     12:41            
DSCF5023
この車窓風景も今となっては判然としませんが,魚津から富山まで
の間で撮影した富山平野のある風景だったと思います.屋敷森と
チューリップのお花畑が印象に残りました.元の写真が不鮮明の
ため,悪しからずご了承を.

        滑  川  12:47               
      水  橋  12:54             
東  富  山  13:00            
 富     山    着13:08                                     
            /発13:30                              
   DSCF5027
これは1982年当時の国鉄富山港線の電車です.
現在はライトレールなる路面電車風に変わって
おりますが,この当時運行されていたのが
右手前がクハ79922号,奥がクモハ73117号車です.
両車共内装は全金属製ですが,車体外観の仕上げ
(雨樋の内蔵と外出し)や内装に幾つかの差異が
見られました.クモハ73117号車は先頭のデザインも
独特でしたね.

では,復刻時刻表の上で621レの旅を続けます.
DSCF5026
1982年 4月25日乗車の522レでは,
富山からこの客車に乗り換えました.
DSCF5025
車内仕切りの左上に,製造元である
鉄道省 大宮工場 昭和15年」という
銘板が付いていました.
呉  羽   13:36            
小  杉   13:43            
越中大門   13:49          
 高  岡  着13:54          
 /発13:57               
西  高  岡   14:03            
        (越中)福岡   14:08                  
 石  動   14:16            
   倶利伽羅   14:25           
津  幡  着14:31                
  /発14:33       
 森  本   14:41              
    東  金  沢   14:46                
(♫車内放送オルゴール・ハイケンスのセレナーデ&架空の車内放送)                  DSCF5018
「ご乗車有難うございました。次は金沢、金沢でございます。
金沢では18分間止まりまして、15:09分の発車でございます。
急行『第3加賀号』大阪行きは15:05分の発車です。お降りの方、
お乗り換えの方はお忘れ物、落とし物などございませんよう
もう1度お手回り品をお確かめ下さい。間もなく金沢に到着です」

     金   沢    着14:51                  
                  ではここで一旦区切ります.

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