マイロネフは行く

自転車とサイクリングに鉄道や郷土の自然(主に植物),地理,歴史などを織り交ぜ,ジュニア世代にサイクリング人気の復興を念じつつ展開してゆきます.

カテゴリ:自転車・サイクルスポーツ > 工業技術

こんばんは.マイロネフです.

クリスマスに因んで・・・・・・という訳でもありませんが,
以前にも1回当ブログでご紹介した,丁度50年前になる
当時の国産大手自転車メーカーN社から発売された
ERECTRO BOY-Z・BRACK MASKについての詳しい配信
記事をご案内したいと存じます.実際の配信は約1年前でした.



この車種が,当時の国産自転車業界の電子フラッシャー競争の
掉尾を飾ったモデルになります.

上記上段の記事から,その仕様を探ってみますと
フレームは当然普通鋼管,構成部品もリヤの5段
スプロケットは大きめで多少の坂は登れるにせよ
ギヤクランク,ハンドル等は❝全鋼製❞.

そのためいざ走り出して見ればとにかく重い.勿論
片手でもひょいと担げる質量ではありません.走行
性能的には全く度外視されたシロモノであります.


それに乾電池の消耗は激しいし,中学以上になると
もはや気恥ずかしくて乗っていられなくなるためか
高校に入ってこの種のフラッシャーを撤去し,外枠
だけが空しく残ったリヤキャリヤを付けたままで
通学に使っていた例がしばしば見られました.

因みにこの機種では,駐輪中のフラッシャーの
イタズラ操作を防ぐとして,スイッチケースの
下に隠しスイッチが付けられていました.

今にして思えば,長距離をより軽快に楽しく,
かつ安全に走り抜くスポーツ(サイクリング)
自転車の本質的な改良がそっちのけにされ,
保護者,PTAの批判まで浴びた電子フラッシャー
自転車でしたが,たとえこのような形であれ,
多くの子ども等に「自転車」が夢や希望を与えて
いた,良き時代であったとも言えるでしょうか.

あの当時の「週刊少年○○○○」の裏表紙を飾って
いたのが懐かしい.

しかし,あのドハデな電飾競争が,多段ギヤ等
サイクリング車たるがための機能の否定にまで
つながったとすれば残念な事です.これは当時
の日本の自転車業界で,まだスポーツ自転車の
製造技術が当時の先進諸国のレベル(構成部品
で言うならCAMPAGNOLOとか)と比べて未だ
発展途上であったために,特に実用系自転車
onlyであった大部分の自転車小売店の現場で
理解が進まず,的確で適切な対応ができなかった
事にもよると思われるのであります.

50年後の今日,当時とは比較にならない本格派の
ロードバイクで各地のレースに出場する少年少女
が一部に見られますが,多数派の子ども等に希望
や目標を与えるには到底及ばない存在であるのが
ただもどかしく歯痒く,残念でなりません.

何とかして,そういう子ども等に自信と誇りを
持たせ,学校でもそれで堂々と胸を張れる環境
造りに協力できることがあるならというのが,
過去に事実上の自転車全面禁止に泣かされて育ち
50年来悩まされ続けている私の本心であります.

それでは今夜も時間ですのでこの辺で.

こんにちは.マイロネフです.

今般,下記のサイトで往年のHONDA二輪の名車
CBX400Fに関する記事が配信されました.

私が当時の中型(現在の普通)二輪の免許を取得した
のが丁度40年前です.やはり当時の二輪車人気の影響
もあり,当時乗っていたHONDA・MB-5の経験から
さらに上の機種が欲しいという気持ちもあった
からです.

その当時の教習所にあったのがHONDAのHAWK2
と,当時の最新鋭CBX400Fで.その時の車の
割り当てによって両方の機種を体験しました.

CBXはブレーキの感覚が独特でした.鋳鉄のブレーキ
ディスクの錆が目立たないようにインボードディスクと
した構造で,フロントフォークの沈下を抑えるTRAC
(トルク・リアクティヴ・アンチダイブコントロール)
の効果とも相まってか,フワッと舞い降りるように
止まる感覚は今も忘れられません.これを称して
「真綿の感覚」とPRされていましたね.

改めて上記記事の画像をよく見ると,空冷
エンジンながらオイルのラジエターが付いて
いるのが分かりますが,当時はそこまで
いろいろとマニアックに研究・吟味して
いませんでしたし,何分広くもない教習
コースの中の事ですから,そこまで本格的な
乗り味を体感するまでには及びませんでした
が,今思えばこれが極めて貴重な試乗体験に
なりました.

当時「400マルチ・今クライマックス!」と
いうキャッチフレーズで,雑誌の広告でも
モデルの乗り手にフレディ・スペンサーが
起用されたりしていました.

私の徒歩圏内にも当時,この機種のポスターを
店舗の玄関ガラス扉に貼った販売店がありまし
たが,いつしか廃業して現在はレンタカーの
営業所に転化しています.

現在ではこの機種でも状態の良い車は新車の
乗用車並みの¥価格で取引されているとか.
これも何とも・・・・・・というのが実感ですね.

尤も今日まで約40年近くもこの機種を維持し
続けるため,車検に保険,その他いろいろ
etc.・・・・・・・と,延べで少なくともそれ位の
¥金額が費やされてきたのはおそらく事実と
思われます.私が免許を取得しながら今日まで
250~400cc級の二輪の所有を諦めたのは,結局
それらの負担に難があったからでもありました.

二輪の運転には下半身の他,意外に背筋力も
必要である事を教習時に実感しました.しかし
今となってはこのクラスは免許も資金もあっても
8の字の押し歩きすらままならないかもしれない
と,当面はこの愛車の
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❝リターンライダー❞で,これまでサイクリング
で走り回った路線を長閑になぞって楽しみたい
と考えております.

それではまた.

こんばんは.マイロネフです.

最近放送されたTBS系TV「がっちりマンデー」
の番組中で,ほぼ日本国内のみの特異な発展をして
いるママチャリについての特集がありました.

この番組の中では,某国産大手自転車メーカーの販売
実績の約70%を占めているというママチャリの歴史と
時代の変遷に伴う数々の改良点を列挙していましたが,
そもそも従来何故日本国内でしか売れないのか,世界の
自転車の実情との比較が全く無く,本質への追求が
無かった点を,私は非常に不満に思っております.

これまでにも当ブログで何回か指摘してきましたが,
日本の自転車工業界は男性向け実用系自転車オンリー
であったため,女性向けの自転車を開発したというのが
主なポイントとなっており,スポーツ系の製造技術は
欧米先進国と比べて少なくとも数十年の遅れをとって
いたのが実情です.

これに加え,競輪にまつわる様々な事件が大きく
社会問題化した影響もあって,国民の間にスポーツ
としての自転車の活用を定着させる間もなく,モータリ
ゼーションの❝大津波❞で,自転車は苦痛で非能率な
時代遅れの役立たずという意識が染み込んでしまい,
「自転車は歩道」という世界的にも非常識で無責任
この上ない道路政策が今日なお継続されています.

日本的な❝ママチャリ文化❞なるものは,こういった
自転車に対する差別的政策に毅然と抗う事をせず,
ただ為されるがままに妥協,堕落,そして腐敗した
日本の自転車業界の産物で❝■*チャリ文化❞だと
思っております.

以前にも1回当ブログで取り上げた,このB社の自転車.

この種のスタイルの自転車は,それ以前から主に
女性向けファッション雑誌のカラー写真ページの
小道具として使われており,それをこのメーカー
が量産化したものとみられます.

ほぼ同時期に,二輪界では所謂ゼロハンスポーツ
バイクも次々に男子高校生の関心を集める機種が
登場し,高価な高級スポーツ自転車が¥価格競争力
を失って,通学自転車の大半がこの種のシティサイクル
に置き換えられていき,“ロードマン”のような汎用
スポーツ自転車も通学用としては次第に異端車になって
しまった時期でもありました.

結局この種の自転車を最も歓迎したのは専門
スポーツ自転車を扱って手を焼いた,少なからぬ
自転車店自身であったのではないかと思います.

何しろ単純過ぎる程の構造で,面倒な説明や調整
等をしなくても,店先に並べてさえおけば簡単に
売れそうな自転車でしたから.


しかし改めて申すならば,私はこの❝ママチャリ文化❞
なる
ものは積極的に評価はできません.

ママチャリに明るい夢や希望がある
とは思えないからであります.

自転車業界にしても,ただ自転車と名が付いて
売れさえすれば良いというものではない筈.

乗り手の交通道徳の事とか,走る道路環境の
事とか,いろいろな面での改善が進まなければ
ただ放置自転車の山を増やしているだけです.

それでは今夜も時間ですのでこの辺で.

こんばんは.マイロネフです.

来たる2023年 4月15()16()両日,
CYCLE MODE International2023が東京は
有明ビッグサイトにて開催されるとのことですね.

残念ながら当方は諸事情のため観に行く予定は
ありませんが,実は1981年,東京は晴海の国際
展示場にて開催された「'81サイクルショー」の
パンフレットを当方にて保管してありますので
それをこの場にてご覧に入れたいと存じます.
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表紙のモデルの人物が乗っている自転車は
当時としては洒落たスポーツタイプです.
これが所謂サイクリング車ですね.
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屋外の試乗コースとBMXのコースです.
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所謂❝変わり種自転車❞のコースです.

残念ながら,この当時のこちらの試乗コースには
全く興味・関心が無かったもので,どういった車種
が用意されていたのか,記録が無いのは悪しからず
ご了承願います.
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会場内のレイアウトです.画像部分を
クリックすると見やすくなります.

以下2枚は出展者(社)の一覧表です.
これも画像部分をクリックしてご覧願います.
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今日では現存しない完成車や部品の
メーカーも少なくありません.

こちらが品目別の展示ブースの
案内になっております.
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「ソンをする」どころか,自分や他人の
命にも関わります.
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裏表紙です.

この当時はスポーツタイプの自転車は
挙ってエアロスタイルに靡いていましたね.

SHIMANOでエアロデザインのDURA-AX
等を発表していたのがこの頃.2年前の'79
サイクルショーでも確かに出ていて,その
試乗車(フレームは固定)にも乗った記憶が
あります.

しかしこの当時でも“エアロ”以外,特に画期的
と目される製品の印象は薄かったように思います.

因みに私が1984年に初めて購入したCr-Moフレーム
の❝特急自転車❞の走り装置にはSHIMANOの
600AXを採用しました.DURA-AXもですが,あの
DD(ダイナ・ドライブ)ペダルは脱着にヘッド回し
のような専用工具が必要だったのが最大の短所
でしたね.

それにつけても,私としてはこれより以前の1970年代
のサイクルショーを観に行ってみたかったです.その
当時は未だスポーツ自転車の製造技術はともかくとして
も,「自転車」が多くの少年達に夢や希望を与えていた
❝良き時代❞であったように思いますし,10代の少年層
の入場者も近年のサイクルモードより遥かに多かった
筈だと思います.

果たして今度のサイクルモードでは,少年達に夢や
希望を与える展示品がどの位ありますやら・・・・・・・.

では今夜も時間ですのでこの辺で.

こんばんは.マイロネフです.

相変わらず新規にUPできるネタに事欠く状況が続いて
いますので,今回は2012年11月11日,川中島~篠ノ井
方面へのポタリングの帰りに某駅の駐輪場で見掛けた
ロードバイク(私の言う❝特急自転車❞)に使用されていた
当時でも何とも懐かしいスポーツ自転車の部品の一部を
お目にかけたいと存じます.

これは旧Yahoo!ブログで1回UPした覚えはありますが,
アカウントを[a383493242]と名乗っていた当時のブログで
記事は消滅したものの画像の方が残っていますので再度
ご覧に入れる次第.
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ブランド名等は不詳ですが,Cr-Moフレームで
あるのは間違いないものと思われます.
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リヤのスプロケットが9段のようですので
極端なヴィンテージものではないと判断されます.

で,シフトレバーにご注目.
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SHIMANO・600のアラベスクパターンです.同様の
Wレバーを過去に私もランドナーで使った覚えはあります.

それにしてもかなり個性の強いデザインですので,自分と
してはもう少しシンプルでも良いと思ってはいましたが.
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DIA-COMPEのブレーキレバーもまた懐かしい.
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ステムはA-HEADに改造されているようですね.
ハンドルバーもエルゴデザインとなっています.
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ギヤクランクがsuper maxy.

この走り装置をもっと詳細に写したかったところですが,
みだりに自転車の向きを反転,移動するのは憚られました
ので,悪しからずご了承願いたいと存じます.

こういったコンポーネント(部品の集合体)は構造もシンプルで,
かつては自分の好みの部品を1点ずつ買い集めて組み上げる楽しみ
もありましたし,万一不調になっても自分である程度までは何とか
対処できる余地もありました.

しかし現在のコンポーネントは操作性は格段に向上はしたものの,
構造が複雑化しましたから,例えばシフトのワイヤが切れた時など
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(上4枚は2013年 1月1~ 4日撮影)
(オーナーの知識や技量にもよりますが)私ならお手上げです.この
トラブルは2013年,上田方面を目指した走り初めの途中,坂城町で
経験したもので,この時は千曲川の鼠橋で前途の打ち切り,折り返し
を強いられましたが,場所や時間,気象条件次第では命に関わる
危険性も出てきます(無論,単なるパンクであっても).

上のロードバイク,走れば走る程摩耗も気にはなり
ますが,今後とも末永く大切にされればと思います.

ついでに,このロードバイクを見た2012年11月11日現在で
篠ノ井,川中島地区で見掛けた茅葺屋根を.
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(この上画像1枚の建物は改築で姿を消しました)
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それではまた.

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