マイロネフは行く

自転車とサイクリングに鉄道や郷土の自然(主に植物),地理,歴史などを織り交ぜ,ジュニア世代にサイクリング人気の復興を念じつつ展開してゆきます.

カテゴリ:自転車・サイクルスポーツ > オリンピック

こんばんは.マイロネフです.

月替わり早々の今日(2022年 3月 1日・)何とも
またやりきれないニュースが報じられました.

日本電産サンキョーが,同社のスケート部を2022年
 3月31日限りで廃部とするという話です.

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6419686

これに関する話は先の当ブログでも触れましたが,
こちらのURLの方がより的を射ています.

https://news.yahoo.co.jp/articles/572843d19a2c40caf33ea5a12317968e3f8aa693


これには社会的にもいろいろな要因があるのは
誰が言うまでもありませんが,とどのつまりは
経済的な負担の問題に行き着くことが多いですね.

長野県では(ここ1~2年はどうだか知りませんが)
毎年冬,野沢温泉のスキー場で小学生のアルペンスキーの
大会が行われ,NHKのTVでも放送されたことがあり
ますが,それに出場した選手がその後日本の代表選手と
して大成したという例は,私は寡聞にして存じません.
その背景も言わずもがなでしょうね.

かつて,現在の大型スポーツ用品量販店の所に
スケートセンターがあった時代,小学校の冬休みの
頃にはそこへの行き帰りか,犀川に架かる長野大橋の
歩道を歩く小学生の団体を見かけたことがありました.

私はスキーはついに習えずじまいのまま初老の年代に
至ってしまいましたが,スケートは旧スケートセンター
時代の1990年代から,長野オリンピック後のエムウェーブ
とも合わせて複数回経験があります.

始めはフィギュア用から始め,馴染んだ段階でスピード
スケートよりブレード(エッジ)の短い「ハーフスピード」
と称するレンタルシューズを利用しました.

あの幅約1mm余りのブレードの片足に全体重をかけるのは
後で結構脛に痛みが来るんです.その所為などもあって
少なくともここ20年以上はスケートには行っていません.

競技経験も無い自分が言うのもおこがましいですが,
現在の選手が置かれている裏の事情も理解する必要が
あるかもとも思います.

恵まれない環境を克服して世界でよく勝てたと,
感動の物語を期待するのは無理ではないでしょうか.

これはまた改めて当ブログで考察したいと思っている
自転車スポーツの問題とも共通する点が多いです.

何といっても,冬季競技自体に明るい夢や希望を
持つことができなければ,それらの選手になりたい
という子どもは出てこなくなるでしょう.

積雪地の子ども達でさえ,スキーをやる子どもは
大きく減っているといいますから,まして関東以西
の地方の子ならなおさらです.

それではまた.

こんばんは.マイロネフです.

数々の悲喜劇を巻き起こした北京冬季オリンピックも
閉幕し,我が長野県に所縁の郷土選手は22人が出場し
夫々が精一杯の力を尽くしました.

その中で,いち長野県民として最も喜ばしかったのは
ノルディック複合ラージヒルで渡部暁斗選手の(個人で)
銅,それに同じく団体戦の銅メダルですね.

複合団体4人組の内,3人が長野県の郷土選手であった
ことも嬉しい限り.この3位争いは本当に壮絶でした.

一方で何とも無念だったのは,やはりあの女子団体パシュート
でしょう.あのレースは私が四十数年来取引をしている自転車
専門ショップの店内TVで,居合わせた同店のスタッフと一緒
に観戦しましたが,もう少しで本当に金メダルかという寸前に
転倒した瞬間,私も思わず「あ~やいやいやい・・・・・・」と声を
上げてしまいました.繰り返し放映されるあの映像を見る度に
無念さが募ります.

「事実は小説より奇なり」といいますが,あれはさしずめ❝事実は
小説より残酷なり❞というところでしょうか.誰も恨まず,
“Act of God”と受け止めるしかないですね.しかしあれより前,
準決勝以前の段階でもしあのようになっていればメダルも何も
無かった訳ですから,健闘を大いに讃えるべきでしょう.

同じく郷土選手の小平奈緒,フィギュアの羽生弓弦と同様に
足首の捻挫で痛みをおして強行出場していた由.道理で
振るわなかった訳で,残念ながらこれも不可抗力と
納得するほかないでしょうね.

羽生弓弦は,敢えて悪く言えば無理をし過ぎ.それでも
果敢に挑戦を続ける姿勢と人柄が,敗れてもなお多くの
人々に感銘を与えている所以なのでしょうね.

ネイサン・チェンはアクション映画の主人公を彷彿とさせる,
心・技・体共に盤石の演技で金メダル.銀メダルの鍵山優真の
演技ものびのびした印象を受けました.

圧巻は何といっても,スノーボード・ハーフパイプの
平野歩夢の金メダル.2回めの判定に納得がゆかないと,
驚異的な離れ技を意地で連発しての優勝は見事でした.

さて,今回の冬季オリンピックのメダル総数は18個.しかし
次回,4年後のミラノ/コルティナダンペッツォ大会でこれ
程の成績を維持できるか,私は疑問を感じます.

近年は日本の冬季競技の人口も諸情勢により減少が深刻化.
トップレベルの代表選手の強化はともかくとしても,底辺が
先細りでは次の世代の選手も育ちません.

メダルの数にはこだわらないと言う人も多いですが,勝てる
国はどこが違うか.勿論何もかもが元々冬季競技がお手の物の
北ヨーロッパ諸国のような訳にはいきません.

しかし,今後は長野冬季オリンピックの競技施設などの遺産を
どう活用して次世代の選手を育てるかが課題であるという
趣旨の記事が,今日(2022年 2月21日・)付の
信濃毎日新聞の1面に書かれていました.

オリンピックの主役は誰が言うまでもなく,出場する選手です.
世界で少なくとも対等に勝負できる選手の強化育成をそっちのけ
で,また8年後に冬季オリンピックを札幌に招致しようという
動きには,私はあまり賛同はしかねます.

ちょっと取り止めがなくなりましたが,今晩はこの辺で.


こんばんは.マイロネフです.

昨日(2022年 2月10日・)から今朝( 2月11日・金・
にかけて例の❝カミ雪❞で,山梨県内や箱根方面ではまた
かなりの混乱があったようですね.当地長野でも今回は
関東地方とかならすぐ解けそうな大根おろし状の“みず雪”
だったのですが,それが一夜明けて凍ったものですから,
場所によってはツルハシでも使わなければ
どうにもなりませんでした.

さて今回は,往時は全面結氷した山梨県・富士五湖の1つ,
山中湖も16年前を最後に氷が張らず,同県内のスケート競技も
不振をかこっているというお話.

https://news.yahoo.co.jp/articles/edd1b9d26432f7bc1c0662e1d5cd02b4d63aff9b
(この配信記事の閲覧期間は終了しましたので,悪しからず)

かつて1975年頃,月刊「サイクルスポーツ」誌のある号の
冬の富士五湖を巡る特集記事で,ワカサギの穴釣り等を嗜む
人々の近くにランドナーを乗り入れている見開きカラーページ
を見た覚えがあります.肝心のその記事が掲載されている同誌
を滅失してしまったのが今となっては何とも残念ですが,
それこそ現在では❝あり得ない❞光景の写真でした.

因みにその号では当時の国鉄中央東線から富士急行線へ直通する旧型
電車のクハ76(電動車はモハ71・72)で輪行中の写真も載っていました.

それらもはや50年近くも前の思い出の世界です・・・・・・.

ところで皆様もご高承の通り,北京オリンピックの男子スノーボード・
ハーフパイプで平野歩夢選手が金メダルを獲得してくれました.

2回めの点数判定に納得がゆかないと反発心を込めたという3回め,
人類史上初とも称される世にも驚異的な離れ技を連発して,日本
スノーボード界の歴史に残る快挙ですね.残念なことに文字通りの
❝落とし穴❞に嵌って案の定の結果に終わった羽生弓弦選手の分まで
目覚ましい活躍を見せてくれました.

そういえば,1998年の長野オリンピックの開催前,当地の地方紙では
オリンピックに「スノーボードは考えものだ」と題した社説が掲載され
たのを記憶しております.当時はスノーボードも社会的な認知度が
まだまだ低く,同じゲレンデで従来のスキーヤーとの軋轢も問題に
されていた頃でした.

それから24年,ついに日本人選手が金メダルを獲得するまでに
発展したことは大いに祝福を申し上げたいし,その当時スノボ
に幾分懐疑的,ないしは差別的な偏見を持っていた層にも
❝見返してやった❞功績は実に大きなものがあります.

この3回めのTVの実況放送中のNHKで,それが始まるか始まら
ないかのタイミングで間が悪く放送のサブチャンネルの切り替えに
かかったため,それがうまくゆかなかった人の中からはネットとか
SNSでもかなりの不満が噴出したようですね.

この後はTV各局も彼の話題でもちきりになったのはこれまた
ご高承の通り.今日のスポーツ新聞各紙上ではまだ羽生弓弦
選手がスターであったのですが,明日は平野歩夢選手が主役
となるのは多分間違いないでしょう.

因みに,昨日の男子フィギュアで銀メダルに輝いた鍵山優真選手は小学校
3~6年まで軽井沢町で暮らしたということです.彼が長野県にも所縁が
あったとは,いち長野県民として実に喜ばしい限りです.

こんにちは.マイロネフです.

皆様もご高承の通り,オリンピック
自転車ピストの女子オムニアムで,
梶原悠未選手が銀メダルに輝きました.

この種目は札幌で行われた男子マラソンに引き続いて
NHK総合で放映され,私も一部をTV観戦しました.

オリンピックの中でも数少ない自転車競技の中継放送ですからね.

オリンピックの自転車競技における日本の銀メダルは
2004年 8月21日,アテネ大会の男子チームスプリント
以来,自転車競技の女子選手としては,あの橋本聖子も

大菅小百合も成し得なかったメダル,まさに歴史的
快挙と申して良いでしょう.

以前にも1回書いたかと思いますが,自転車競技では落車は宿命的な
リスクで,実際にこの1種目めのスクラッチレースで集団落車が発生
してしまいました.日本で自転車競技が振るわないのはもしかすると
この危険度が「」の付くことを好む日本人の気質,国民性にどこか
そぐわない点があるからかも・・・・・・・という気がしております.

自転車のロードレースがマラソンや駅伝等のように社会的になかなか
受け入れられないのも,高速度のゆえに重傷者,さらには死者まで発生
しかねず,社会的影響が小さくないからでは・・・・・・・と思っております.
先のロードレースでも,下り坂では自動車でも出せそうもないスピード
で,よくあれで事故がなかったものよと感嘆します(実際に落車しながも,
なお走り続けた選手もいましたね).

実際に彼女自身も4種目めのポイントレースであと残り9周のところで
前の選手の後輪に接触して?落車.これで万事休すかと思われましたが
素早く立ち直って銀メダルとなったのは,本当に素晴らしいです.

レース後のインタビューで,彼女も日本国内で自転車競技の普及と
底辺の拡大,さらに強豪国の1つと目される競技力の向上を願う
趣旨の発言をしていました.それらは従来の歴史的な経過からみても
なかなか容易ではないですが,子ども達に夢や希望を与えられる種目に
なるように,いちサイクリストとして陰ながらも協力して
ゆきたいという気持ちでおります.

何と言っても今大会の自転車競技の中で,最後になって
日本選手のメダリストが出たことは何よりめでたい.

心から祝福を申し上げたいと思います.

因みに,今回の彼女の競技車はBRIDGESTONEでした.1964年の
東京大会ではほぼ全ての競技車がCINELLI(チネリ)で,当時の国産
自転車は競技に堪える性能ではありませんでした.それを思えば,
国産ブランドもようやくオリンピックで海外の著名ブランドと上位
争いができるまでになったのかというのが実感で,日本の自転車業界
にとっても嬉しい話題でしょう.

それではまた.

  猛暑お見舞申し上げます.
マイロネフです.

この暑さでは到底走りに出る気にはなれず,先日の
オリンピックの自転車ロードレースの配信映像でも
空き時間に観ながら静養を決め込んでいます.

その最大の見どころにして難所である明神峠における動画を
ちゃんとYou TubeでUPしてくれた人がいることが分かりました
ので,こちらでご紹介させて頂きたいと存じます.

コンクリート舗装に丸い輪で滑り止めを入れた,所謂“ドーナツ坂”
と称されているこの激坂の区間はそう長くはないらしいですが,公式の
レースの映像では分からない勾配の程度が知れます.

具体的にはこの位でしょうか.
004
これは長野市の犀川・東京電力小田切発電所横の坂です.
005
この上2枚の画像は2012年 4月28日の撮影で,この時点では
私も
まだある程度の体力があったので,COLNAGO・Arteで
足着き停車を繰り返しつつかなり無理やり登ることは
できましたが,今後は難しくなりそうですw.

大抵の人では自転車に乗ったまま登るのは先ず無理.こういう坂の
地域に住む人には,電動アシスト自転車が不可欠になるでしょう.


現地では,一息入れて見れば背景の展望もまた素晴らしいと思います.
それと,増田選手にボトルで❝力水❞をかけた人がいましたね.
もう1本,こちらが三国峠でしょうか.

レースの公式映像にも映っていましたが,
上半身裸の水泳パンツ姿で追いかける人もいます.

いずれにしてもこの先頭から上位を行く選手のスピード,
1963年以前の旧国鉄信越本線碓氷峠・横川ー軽井沢間を
アプト式でエッチラオッチラ登る列車よりは勿論の事,
未電化時代の篠ノ井線の姨捨等の25‰(約分して1/40)の
坂を登るディーゼル列車よりも速いのは確かだろうと思います.

私は1973年,中3の奈良&京都の修学旅行で当時の篠ノ井線の
キハ58急行に乗りましたが,姨捨附近では同時期の信越本線
横川ー軽井沢間よりスピードは確かに遅く,その2年後の高2の
修学旅行で乗った165電車の圧倒的なスピードの差に驚いた
記憶があります.

自転車レースのスピードから往年の列車の思い出に話を
飛ばしてしまいましたが,この辺で元に戻りましょう.

このレースは日本選手には到底勝ち目が無かった所為もあってか,

TVで実況も録画も放送されることは(私がチェックした限りで)
ありませんでしたが,勝敗はどうでも,出場各国の選手を大きな
拍手と歓呼の声で迎える観衆の温かさ.

“Welcome to KOYODAI,TOKYO!"の手作りの横断幕も素晴らしい.

これが本来のオリンピックではなかったかと感じさせてくれます.

いち鉄道ファン的には,是政橋を渡って間もなくレース集団
(プロトン)の背景に南武線の電車が通りかかったのも,あたかも
「のりもの」絵本から飛び出したかのような組み合わせで楽しい
ではありませんか.ちょうどあの電車に乗り合わせて知っていれば,
車窓から一瞬でもレースの走行シーンを見る事ができたかも.

それではまた.

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