マイロネフは行く

自転車とサイクリングに鉄道や郷土の自然(主に植物),地理,歴史などを織り交ぜ,ジュニア世代にサイクリング人気の復興を念じつつ展開してゆきます.

2014年04月

それでは前段の続きです.
 
旭山の北山麓のカタクリ園は,今の時季どうなっているでしょうか.
訪れる人は僅かですが,
実は見逃せない草花が存在します.
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ウスバサイシンです.
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姿図としてはこちらの方が分かりやすいでしょうか.
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立面図としてはこんな感じです.
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花の部分.濃いブドウ色です.
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花の側面もご覧頂きました.
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根元の新芽の鞘の部分も特徴的です.
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花の内部です.指を添え,
明るくして撮影しました.
 
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カタクリと混生していますが,
個体数としては,カタクリより遥かに少ないですね.
 
ご存知の通り,ウスバサイシンはヒメギフチョウの食草です.
カタクリの開花中,ここでもヒメギフチョウがひらひらと
姿を現すことがあります.
 
 
 
代わってはこの草花.
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チゴユリです.
カタクリに続いて雑木林の下を飾ります.
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通常は1本の茎に1輪ですが,
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このように2輪着くこともあります.
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花を下から見上げます.
 
次はこちら.
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ヒトリシズカです.
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葉も展開して丁度見頃です.
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花の部分です.肝心の所がやや不鮮明で恐縮ですw.
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この画像の所では主にカタクリ,ウスバサイシン,ヒトリシズカ,スゲ類の一種の
4種類が混生していました.
 
次はこれ.
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スミレの中では圧倒的多数派の
タチツボですが,
この様に葉脈が赤ジソ色の斑入りとなっている個体は
アカフタチツボ」と区別されることもあります.
それではこのタチツボ種の花の部分を,
ご参考にどUPで.
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では,ここでまた一旦区切ります.
 
 

皆様こんばんは.
a383493242改めマ イ ロ ネ フでございます.
 
“昭和も遠くなりにけり”の今日(4月29日)の昼下がり,
私の知っている長野市内の花どころを
COLNAGO・Arteに乗って手短にポタリングしてきました.
 
先ずは,昨年もご紹介したこの花から.
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長野市内で(現時点で私の知る限り)唯一自生の
コモロスミレです.
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昨年に比べ大幅に減っているのが気になりました.
しかし時期的にはまだこれからのようですので
期待して経過を見たいところです.
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これが何とかコモロ種らしい花の形になっていました.
スズランのような芳香を持っている事も今回分かりました.
側面図や背面図もご覧下さい.
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八重咲きの特徴がお分かりのことと存じます.
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花の正面.撮影に適した状態の花が無く,やや不鮮明で恐縮ですがご了承下さい.
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花の上部です.
ここは周囲の工作物等で場所が特定されますと
不測の事態が予想されますので,撮影に留意が必要になります.
因みに先日(4月20日)訪問した懐古園では,未開花の個体が数株,
園内で1箇所のみ発見できました.
スミレはスミレでも,当日同園内で咲いていたのはタチツボ種ばかりでした.
 
一方,こちらは同じ場所で咲いていた
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ヒメスミレです.
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小輪の種類です.
 
以前,長野駅の東口附近で住宅の基礎の際に
集中して咲いていたのを見たことがありましたが,
最近の工事で残念ながら見られなくなったようです.
 
さて,県庁の方へ裾花川伝いに走って行くと,
この様な花壇が登場します
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ここもやや見頃は過ぎていましたが
結構立派なチューリップの花壇です.
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年配の男性がメインテナンスをしていましたので
話を伺うと,
「河川敷の砂地なので肥料分が流されやすく,
雑草を堆肥にして漸くこれだけに咲かせることができている」
とのこと.
 
とは言っても,この様な土壌はチューリップには最適です.
 
 
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背景の対岸の白い岩は
白亜質裾花凝灰岩です.
戦前,この岸辺は夏に
水浴場として利用されたこともあったようです.
 
また,以前UPしたこの花木は
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やはりロトウザクラで正解でした.
花が散った後を見ますと
確かにモモ,或いはハナモモに近い姿になっています.
 
これは長野市立図書館の敷地内に生えていた
実生苗を譲り受けて植樹したということです.
 
では,今晩は一旦ここで区切ります.

皆様こんばんは.
a383493242改めマ イ ロ ネ フでございます.
 
さて,今年の春の交通安全運動で
この様な物をもらった方も多いかと存じます.
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自転車は元来,車道左側通行が正常なルールの筈なのですが?
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これは先日,前段の記事で通ったR18の工事を告知する看板.
 歩行者の安全確保は重要ですが,自転車はどう通行させるつもりなのでしょうか.
 
 この画像の左端まで広げるなら,自転車の通行区分を2/5は確保することは明らかに可能です.用地が無いとは言わせません.
 通行方向も左右双方向ではなく,左側に限定すべきです.
 
一方,こちらは
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往復とも利用した,上田市内の千曲川沿いの堤防道路です.
彩りにシバザクラも植えられています.
車道も以前よりは広くなりました.しかし
この設計には極めて大きな問題あります
 
 ご覧のとおり,片側にのみ縁石で区切られた不必要に広い歩道が設けられ,人家もある反対側には歩道がありません.
 
 自転車は,この道路で大屋方へ向かう時にはルールに正しく従うと,反対側の車道の左端を走ることになります.
 
 しかし実際には交通量が多い上に車道の幅が不十分なため,こちら側の歩道の逆走が誘発されがちです.
 
 そもそも歩道が「自転車通行可」の場合,左側通行を明記せず,双方向に通行可能としていることが諸悪の根源です.
 
 なぜ私がそのように表現するかと申しますのは,自転車で右側通行のできる歩道と,そうでなく左側を走らなければならないその他多くの道路と区別のできる自転車利用者が(私の見る限り)先ずいないからです.
 
 そもそも自転車で右側を走るとなぜ危険なのでしょうか.
 
 第一に,特に左カーブで正面衝突の危険性が高い.
 
 第二に,右折や左折をしたり,横方向から交差する自動車(四輪,二輪共)にとって,車種を問わず右側通行をする自転車ほど迷惑なものはありません.
 歩道の無い大半の道路で違反となる右側通行が,(自転車通行可の)歩道なら違反とはならない.この点がどうにも納得できない矛盾点です.
 
 以前,当地の地域紙の記事で某警察の幹部が「法令を理解できない小学校低学年の子どもが路上で自転車に乗るべきでない」という趣旨の発言をしていたのを読んだことがありますが、こういった支離滅裂な現状に何等の手立てもしないままでよくそんな事が言えたものだと今でも思っています.
 
しかもこんな障害物もあります.
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 四輪車等の誤進入を防ぐためだろうと思いますが,迷惑な存在ではあります.
 
 とにかくこういう片側にのみ広い歩道は自転車の「右側通行」の違反を助長するので決して好ましくはありませんし,“ありがた迷惑”です.
 
最後にこちらの画像を.
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西上田―坂城町鼠(ねずみ)間で,千曲川の堤防工事が行われています.
この堤防の上が舗装され,自転車が通行可能となれば
多くの自転車利用者にとってこの上ない福音となります.
完成に期待が持たれます.
 
 
 

では,コモロヤエベニシダレの画像を
もう1~2枚.
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10年程前に新しく植えられた樹ですね.
 
車内放送オルゴール・鉄道唱歌&架空車内放送)
 
「お待たせ致しました.
布引電気鉄道・島川原行きでございます.
花川,押出,布引,布下,終点・島川原
順に止まります.
全長距離は7.42km,終点まで27分の所要時間となります」
 
参考ソース:
小林宇一郎・小西純一監修/信濃毎日新聞社・編
信州の鉄道物語」1987年1月30日発行
p.111~122「布引電気鉄道」
 
月刊「鉄道ピクトリアル」2014年4月号
「絵葉書が描く地方私鉄の昔むかし(第4回)布引電気鉄道」
p.110~111
 
また,「布引電気鉄道」でWEB検索しましても
「ウィキペディア(Wikipedia)」等で詳細が分かります. 
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小諸駅/懐古園前から
先ずはこの道路を直進します.
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中学校の前を通過し,この交差点を左折します.
左方向の細い道路が旧布引電気鉄道の軌道敷きです.
右の道路は直進でR18と交差し,カーブしつつ坂を上って
上信越自動車道の小諸インターチェンジへ通じます.
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住宅街を抜け,切通しの坂を下ります.
左側の古い石垣で,それと分かります.
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右側にも古い石垣のあるカーブです.
定員42名の小柄な木造車体のチンチン電車が
上り下りしていたとは信じ難い急勾配です.
これでも長野電鉄の信州中野―湯田中間と同じ
40/1000なのだそうです.
 
このカーブを曲がりきると 
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予想通り,見事なサクラのトンネルです.
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小諸方を見返ります.
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ここ,小諸市押出の読み方は
現在は一般に「おしだし」で通っていますが
代々の住民の方はおったしと称します.
さらに先へ進んでみましょう.
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ここで一旦行き止まり.
左側の千曲川の岸辺には,歩いてアクセスが可能です.
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この橋脚だけがちゃんと残っていました.
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 ここから折り返して4枚前の地点まで戻り,
この画像の上に見える布引大橋を渡ります.
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布引大橋の上から,旧布引電気鉄道址のサクラ並木を俯瞰します.
今や小諸地区では懐古園に次ぐサクラの名所となっています.
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対岸から,残存する橋脚と橋台を見ます.
これが,現存する旧布引電気鉄道のシンボルと申せましょう.
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この鉄橋は川の上でカーブしていました.
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後の洪水でひっくり返ったこの橋脚が,
この鉄道のミジメな結末を物語るかのようです.
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布引側の橋台.
石組はがっしりした造りとなっています.
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今年2月の集中豪雪の際の残雪がありました.
 
車内放送オルゴール・アルプスの牧場)
 
間もなく,布引です.
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この石垣に沿ったダートが
旧布引電気鉄道の線路敷きの可能性が高いですが,
右側の県道の上だったかも分かりません.
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県道の川側から見る布引観音前です.
山の中腹に観音堂が見えます.
これより先の旧線路敷きは現在では全く判然としません.
何せ廃止から戦争を挟んでかれこれ80年になりますから・・・・・・・・w.
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この農道がいかにもそれらしい雰囲気ですが,どうやら違うようです.
右側の県道と重なっているかも分かりません.
次の「布下」にプラットホームの痕跡が残っているらしいのですが,
時間が押していましたので,今回は残念ながら尋ね当たりませんでした.
 
車内放送オルゴール・ハイケンスのセレナーデ)
 
終点,島川原です.
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現在の東京電力・島川原発電所の東側の門です. 
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1930(昭和5)年11月発電開始,認可出力は15,700kwです.
参考ソース:
東京電力株式会社発行パンフレット[水と電気のガイドブック]
「水と緑のエネルギー」2005年7月
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この発電所の資材輸送に重宝されたのが
布引電気鉄道でした.
 
その昔,小諸の有力な商業家等が中山道筋への商圏確保を目論んで
電鉄会社を設立したものの,乏しい資金でやっとこ開通した終点が
人口の僅かなこの集落.
 
発電所の資材輸送以外には大量輸送機関としての用をなさず,
「四十(始終)二人乗り(乗務員だけ)のシジュウカラ電車」
等と揶揄され,累積赤字は嵩む一方.
 
やがて1932年5月1日以後
電力料金の滞納のための送電停止による運休が再三繰り返され,
1934年6月18日以後は完全に運行を再開されないまま事実上の廃止.
その後始末を巡っても,まるでマンガじみた泥仕合が続発した
ということです.
 
過去帳入りした日本の鉄道の中でもマイナーな部類に入りますが,
水力発電の電源開発と鉄道との関係とも考え合わせ,
地元の子ども達には郷土史の自由研究にも良いネタとなるでしょう.
 
この後は追い風を活かして往路の分まで“特急”ペース.
島川原から長野までは3時間で帰着できました.
しかし肉体動力の衰えは争えず,
20年以上前の実績経験でスジを引こうとしても無理なことが多いです.
偶に足を延ばす所とはいえ,もう少し的を絞る必要があると実感しました.
 
     全走行距離;131.18km
 
     実走行Time;7時間31分23秒
 
     平均時速;17.4km/h
 
     積算走行キロ;8493.9km
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

さて,今度は懐古園へ参りましょう.
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これが懐古園のレイアウトです(拡大してご覧下さい)
三の門の内側へ愛車を置かせてもらいました.
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あまりこういう場所へ入れるのは好ましくありませんが
止むを得ません.
この種の自転車も確実に置ける駐輪設備が欲しいです.
 
で,お目当てはこのサクラ.
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当園オリジナルのサクラ,
コモロヤエベニシダレです.
園内に3箇所植えられていますが,
この1本のみ,古い方の樹は伐採され
新しい樹に植え替えられています.
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本丸跡の石垣を背景に.横のソメイヨシノと比べると,
確かに紅色の濃さは際立つのですが・・・・・・・.
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上の2枚は,ホワイトバランスの設定を変えて撮影してみました.
上は曇天,下は晴天の設定です.
やはり「曇天」の方が色調が自然な感じがします.
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これと同様のシダレザクラは長野市内でも見かけることがありますが,
このヤエベニシダレとどこがどう違うのか
さっぱり分かりません.
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こちらは 小諸地区のサクラの開花基準木.
勿論ソメイヨシノです.
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懐古園には草笛がつきもの.
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園内遊覧の人力車(別料金)も登場します.
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懐古園内の馬場の跡です.
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本丸の石垣です.
 
一方,懐古園の入口では見落とせない,この保存SL.
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C56 144 号機です.
一時期よりはましな状態になってはいますが,
塗装が褪せているのは気になります.
そういえば,ヘッドライトもどうしてしまったのやら.
 
それでは,あと1段続きます.

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